読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

食い意地張ってるジビエ屋さんの経営日記

ジビエの販売、加工品製造、利活用コンサル、処理場の運営などをする会社を経営しています。現場の視点で野生鳥獣肉について書いています。

シカとの馴れ初めとクイージの設立について

野生動物の肉を扱う会社であるクイージを立ち上げた理由は何ですか?という質問をよくもらいます。

クイージは、自然と人間の共生を実現するために事業を行っています。自然に対する考え方も様々で、共生が実現できていることのイメージも十人十色です。クイージは、持続可能な自然資源の利用を通して、自然の保全やより良い社会を作っていきたいと考えています。

さて、今のクイージの事業の一つである、シカやイノシシなど、野生鳥獣の利活用事業ですが、これは野生鳥獣肉(ジビエ)が一般化していなかった時に立ち上げたことから、先見性があったんだねとか、ほめてもらうこともあるのですが、実は野生動物とのかかわりは、クイージを立ち上げる前からありました。

エゾシカとの出会い(北海道)

私は北海道大学・大学院時代、森林施業計画学という研究室に在籍していました。森林に積極的に手を加えるという生業――林業の研究室です。

研究対象地は、北海道の森の中でも最も豊かといわれる、阿寒湖周辺の天然の森林でした。天然林といっても原生林ではなく、もともと荒地だったところを、人の手による施業で100年かけて育てた森林です。そこでどのような施業を行った結果、今の豊かな森林ができあがったのかを研究していました。そして研究がまとまり、報告に行ったある冬のこと。当時、爆発的に増加したエゾシカによって、豊かな森林の木々は樹皮が剥がされ、多くが枯れてしまっていました。人の手が100年かけて育て、豊かになった森は、増えすぎたエゾシカによって、ほんのひと冬で壊滅的なダメージを受けてしまったのです。

森林は、1本1本の木々が育つことで豊かになるのではなく、木が枯れたり伐採を行ったり、また別の種類の木が大きくなり、また小さな木を植えてそれを育てて、を延々と繰り返し、長い年月をかけて豊かになっていきます。私の研究に使ったデータには100年前の大先輩が行った施業の記録がありましたし、当時も毎日の施業があって、次世代によりよい森林を残そうとしていました。

f:id:cuiiji:20170117215749j:plain

人間の寿命よりも長い年月をかけて育ち、大先輩たちの努力の結果の森林が、たったひと冬で壊滅してしまったことは大きなショックでした。

同じ研究室で狩猟免許をもつ先輩や、阿寒周辺に住んでいた狩猟者たち、それから施業を行っていた方々と飲みながら、『獲って、食べてしまえばいいんじゃないか?』なんて話はありましたが、エゾシカ1頭から得られる肉が30kgもあり、とても食べきれません。どこかレストランで出してもらえば、なんてことも言っていましたが、現実的には難しく、対策として良い手が浮かぶことはなかったことを覚えています。

食べて解決すること――先輩が捕獲したエゾシカ、実は美味しくありませんでした。血抜きなどの処理が不十分であったことや、料理方法も開発されていなかったことが原因です。せっかくのエゾシカにもかかわらず、チンジャオロースとかカレーとか、味の濃い(シカ味はしない)料理で、悪い意味でごまかして食べていました。当時、空港などで販売していた缶詰も、いわゆるゲテモノ扱いで、飲み会の際の罰ゲームと、ひどい扱いをしていました。

シカとの馴れ初めは、森林破壊を引き起こす、食べてもおいしくない、どんどん増えて対処方法が思いつかない。と、散々な思い出しかありません。

シカ料理との出会い(東京)

北海道大学を卒業した後、私の就職は東京でサラリーマンをしていました。そんな時代に東京で久しぶりに出会った二度目のシカは、レストランの料理素材としてでした。

 

f:id:cuiiji:20170117220023j:plain

あっさりとしたソースで肉に臭みもなく、あれほどきつかった血の匂いは、むしろいい香りで、びっくりするぐらいに美味しいシカ料理でした。シェフに聞くと、ニュージーランドから輸入しているシカ(アカシカという種類のシカ、畜産動物)とのこと。

北海道でエゾシカ調査をしている友人に聞くと、その後北海道ではエゾシカが増えすぎて大変なことになっている。一方、最近ではそれを捕獲し、商売をする方も増えてきているとのこと。ただ、まだ安定経営は実現できておらず、経営は難しい状況である。

レストランで食べたシカ料理のお値段はちょっと高めでシカ肉の値段も高い。もし、レストランとエゾシカビジネスをする方々の取引が大きくなれば、エゾシカの個体数を減らし、森林の保全にもつながるのではないかと思ったこと、そしてそういった会社が当時なかったことが設立のきっかけだったと思います。